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そんな私の日々であります。

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*阪神大震災のこと。 

2011/01/17
Mon. 18:19

16年前でしたか。早いものですね。

阪神大震災 
 
 (写真は毎日新聞さんよりお借りしました。)

 当時の私の実家もこのような惨状でした。
 外を見ても同じくあちらこちらにひどい
 光景があり、カメラを向けるような状況
 ではなく、手元に震災時の様子を写した
 ものがありません。

あの地震の日からいろんな事がありましたね。
阪神間で住んでいても被害の規模は様々で、体感した恐怖は人それぞれ。
亡くなった方が一番怖い思いをしたんですね。
幸いにも、身内で死亡者はでませんでしたが、生活圏のほとんどに支障が
出て、出社するにもできず、しばらくは水汲みと片付けの日々。

出社するようになっても最寄りの駅は新幹線の橋脚が落ちた事で使えず、
電車が使える駅まで1.2か月歩いて通いました。
近隣は、リュックとズボンにスニーカーの姿の人々で溢れているのに、
いざ電車に乗って淀川を超えると、スカートやヒールを履いた女性が普通に
出社している姿があり、かたや、風呂に入る為に早退する私達との格差に、
ここは戦時中か?と川を一本超えただけでタイムスリップしたような、闇市に
買い出しに行っているようで哀しくなった思い出があります。

でもそれは仕方のない事。
被災した私達でも、喉元過ぎたら、忘れてしまっている事も多いですから。
でも、今でも、周りで困った人がいたら、気づいた時点でいいから、寄付でも
なんでも、自分のできる事はできる限りしようと心がけています。

そして、あの震災で窮地に立った時に人の本性ってわかるものだと実感しました。

それで離れた人もいるし、近づいた人もいる。

地震の時は私は独身でオットとはまだ出会っていませんでした。
なんと、地震の日にオットのいた事業所に私が転属になる予定だったので、
震災後、出社してからだいぶ経って落ち着いた頃に出会った訳です。
はじめ、会った時の印象は、なんか私とは全く違うタイプのパワー溢れる人だなぁって
思ってた位で、他は何とも思ってませんでしたが、すごく興味を持った話があります。

震災の朝は、オットは大阪に住んでいたので地震の被害には直接は合わずに済んだの
ですが、朝、地震があったな位の認識で通勤したものの、電車が途中、大阪市内で動か
ず、歩いて会社に向かうしかなく、道中の建物の損壊の様子にただ事ではないと気づき、
後から惨状を知ったようです。
その後、会社の片付けや取引先の救助や応援、友人への支援、その他にも、しばらくは
仕事になりませんから、電車の停まった西宮北口から、三宮までの道を、他のボランティア
の皆さんがしていたように歩きで水を配ったりしていたそうです。

その中でも、直後に 西宮 (訂正。東住吉だったそうです。)の公園で家が全壊して
自分の家の木材を燃やして暖をとっていた野宿状態のおじさんに声をかけ、何か欲しい物
はないかと聞くと、「私は、大丈夫だけど、娘が生理で困っている」と聞き、
男性ですがここは緊急時なので、「わかった、おっちゃん待っといて!」と大阪に戻り、
女友達に買い出だしを手伝ってもらって、翌日早々に大量にそのおじさんの元へ生理用品
を届けたそうです。

私は、近隣でガス漏れしていて避難状態ではありましたが、小学校の体育館も満杯で
入れず、車で一泊過ごし、その後は、自宅で様子を見ながら過ごしましたが、トイレの
問題はすぐに訪れましたので、そのおじさんや、娘さんの気持ちはすごく解りました。

水洗トイレは水がないと流れないんです。なので、何回か溜めてバケツで流しては、
毎日トイレの為に水汲みに行く生活。お風呂にも、もちろん入れないのでやかんで沸かした
お湯で体を拭き、顔を洗い歯を磨く。ちゃんとお風呂に入ったのは1週間後。
それも、近所のレジャー温泉施設で一人、1,500円だったか、1,000円だったかの入浴料を
払い、家族での出費なのでうんざりしますが、お金に換えられません。
湯桶を使う順番の為に裸で浴室施設内を並び、体を洗って芋の子を洗うように湯船に入る。
そんなお風呂通いを何回繰り返したかな。

安全で清潔な中での暮らし。それがその当時一番欲しかったものだと書いていて思いだして
います。

なので、寒い中、お風呂にもはいれず生理になるのは女性としてもかなりストレスだったと
思います。

そんな時に女性ならともかく、男性が支援してくれたのは、恥ずかしいけど、生きていく上
で仕方のない事なので、すごく嬉しかっただろうなと思いました。

そんな話が根本にあり、オットという人間をだんだん知るようになったのですが、人が
困っている時に、素直に助けるという行動ができる人は信用できると思います。
震災は、あって欲しくはないことですが、あの震災がなかったらきっとオットとは結婚も
していないと思うし、何とも思わずにまだ仕事をしていたかもしれません。
(そのほうが良かったのかもしれませんが・・・それは他の人生。考えても仕方のない事。

16年目を機会に改めて、安全で清潔な暮らしができる事に感謝し、今、そういう暮らしを
提供してくれる夫になったオットにも(ぷ。)感謝したいです。

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コメント

あの日

こんばんはっ!

16年前か~もうそんなに経つのですねっ。
あの日、四国も結構大きな地震があって
タンスの上に置いてたモノがドバドバ落ちてきて
すごく怖かったのを今でも覚えてます。
だから震災にあわれた方々の恐怖はもっともっと
すごかったことでしょうね。

震災時のエピソード。とても心温まるお話しだね♪
旦那様のお人柄がうかがえます。格好いい!
ほんまに窮地に陥った時こそ人柄って見えてくるよね。

一昨年神戸に行った時。
「ここは昔ほんまに震災があった街なの?」って
思うくらい見事に復活してたけど
16年前のニュースや新聞で見たあの光景は今でも
忘れられないし忘れちゃいけないねっ。

☆16日の夜。うち地域で震度3の地震があって
(再来?!)かなり焦ったよっ!コワイ・・

eko+ #- | URL | 2011/01/18 21:55 * edit *

Re: あの日

eko+さんへ
連続で投稿しちゃったから、ごめんね~、連続コメント。
でも、入れてくれて嬉しい~、アリガト(*^_^*)

> 16年前か~もうそんなに経つのですねっ。
> あの日、四国も結構大きな地震があって
> タンスの上に置いてたモノがドバドバ落ちてきて
> すごく怖かったのを今でも覚えてます。

やはり、淡路挟んでますからね、四国も揺れたんだね。
ケガは無かった?

> だから震災にあわれた方々の恐怖はもっともっと
> すごかったことでしょうね。

そうですね。断層の延長上だったけど、私なんてほんとたかが知れてる。
揺れて自分の叫び声で目覚めて、気づいたら本棚の下敷きになってたけど
冬で良かった。(^_^;)布団カブってたから、セーフだったよ。
その後、裸足で家中、箪笥やら食器棚やら乗り越えてたから、明るくなったら
足の裏血だらけだったけどね。暫く怖くて靴履いて寝てた。(^_^;)

> 震災時のエピソード。とても心温まるお話しだね♪
> 旦那様のお人柄がうかがえます。格好いい!
> ほんまに窮地に陥った時こそ人柄って見えてくるよね。

やはり、悲惨なお話が多いと思ったので、ちょっと違う切り口の話を書いて
みたよ(^_^;)他にもね、震災でお風呂は皆大変だったんだけど、新聞やニュース
にもなってたけど、ラブホテルとかも地元の人にお風呂解放してたんだよ。
おこちゃまにはちょっと??びっくりしちゃう場所だけど、あの時はほんと
そんな事言ってらんないから、お湯につかれる幸せを味あわせてもらえるなら
どんな環境でも感謝感謝だったと思うよ~。

> 一昨年神戸に行った時。
> 「ここは昔ほんまに震災があった街なの?」って
> 思うくらい見事に復活してたけど
> 16年前のニュースや新聞で見たあの光景は今でも
> 忘れられないし忘れちゃいけないねっ。

そうだね。私も転属する前日にいたのが神戸のハーバーランドだったんですよ。
なので、デスクの荷物箱詰めして、「明日、次の事務所に送ってね~!」って
同僚にお願いしたのに、実際は翌朝地震で、ビル全階にスプリンクラー作動して
荷物びっしょりで、しばらく誰も立ち入れないし、(たどり着けないし。。。)
配達機能も道もまったく壊滅状態で自分の仕事の荷物が届いたのは、遠回りで
神戸から船便で大阪経由で2か月位かかったよ(^_^;)
書いてると色々思いだしてきちゃったわ。
転属してから、怖くて神戸方面に出向いたのは道路が使えるようになってから。
すごく胸の痛むドライブだったのに、今は表立った道路は本当に綺麗になって
しまって、夢のよう。それも余計に時間が経ったんだなって胸がチクリとする
けどね。。。

> ☆16日の夜。うち地域で震度3の地震があって
> (再来?!)かなり焦ったよっ!コワイ・・

あ、もしかして速報見たかも!倉敷とか揺れてる速報が出てて、珍しいなと思ってたんだ。
その地震だったのかな?

最近またちょっと揺れ出してる気がするのは気のせいかな。。。
お互い、気をつけようね。(・。・;

Yururi #- | URL | 2011/01/19 01:19 * edit *

震災

被災のど真ん中にいらっしゃったんですね。
身内の方に亡くなられる方がいなかったのは幸いですが、お風呂入れなかったり、ぐちゃぐちゃになってしまった家の中の整理や、歩いての通勤、ほんとにストレスフルですね>< 大変だったんですね。

ダンナさんとそんな出会いの秘話があったんですね
*^ー^*イヤン♪  ステキじゃないですか!!
ダンナさん優しいですね~♪困ったときはお互い様と言っても、いざとなると助けない人がいる中、立派です!!震災の時期になると、震災のこととともにyururiさん夫妻の出会いを思い出しそうです^^


生理といえば、震災の時私にも何かできないかと思い、‘生活用品物資募集’みたいなのをTV番組で見て、毛布や洋服とともに生理用ナプキンを入れて郵送しました。女子はきっと困ってるはず!と思い。

梅田駅前でも街頭募金ボランティアのお手伝いをしました。あれからもう16年なんですね~。しみじみ。










当時私は大阪在住で神戸市内の短大に通ってまして、
短大の友人たちの無事を確認後、梅田駅で集合したのですが、梅田は何事もなかったようにハイヒールを履いたお姉ちゃんたちが歩いてて、かたやTVでは西宮より西の惨状を写してて、電車で15分の距離でこんなに被害は違うのかとビックリしたものです。
淀川をこえるかこえないかで全然違いましたよね!!






kahvi #- | URL | 2011/01/19 16:11 * edit *

yururiさんへ

私ね、あの地震のとき海外で生活していて、向こうの
ニュースで観たの。街が崩れて&あちこちから煙が出てて…まさか自分の国で?と、かなり動揺しました。
私の中では、「阪神・淡路」というより「日本」と
いう感覚のままなので、被災者ではないのに気持ちが
とても痛くなります。
yururiさんも辛い思いをされたと思いますが、無事で
よかったですね。本当、よかった。

ご主人のお話も温かい^^
その方も娘さんも、ご主人にしていただいたこと
ずっと忘れずにいてくれてると思います^^

温かいっていいですね。
人の温かさも、ご飯もお風呂も!

私も…
最近また揺れ出してる気がします。
そんなに大きくはないけど…そのうちドーンと
来るのでは?!と不安でしょうがない(泣)

ORIERIO #- | URL | 2011/01/19 16:28 * edit *

kahvi さんへ

こんにちは♪今日も、コメントありがとうございます(*^_^*)

> 被災のど真ん中にいらっしゃったんですね。
いえ、ど真ん中ではないんですけどね、端っこのほうです。でも距離が離れて
ても、断層の延長上の土地は結構ダメージがありましたよね。
親戚が西宮が多いので、家の倒壊が2件あって、やはり、埋まってしまいましたが、
たまたまその日はこたつで寝ていて、こたつの高さで助かったリ、近隣の方の救助
で無事に助けて頂いたのでほんとうに良かったです。

> ダンナさんとそんな出会いの秘話があったんですね
> *^ー^*イヤン♪  ステキじゃないですか!!
> ダンナさん優しいですね~♪困ったときはお互い様と言っても、いざとなると助けない人がいる中、立派です!!震災の時期になると、震災のこととともにyururiさん夫妻の出会いを思い出しそうです^^

え~。。。。そうだった、カーヴィさん、うちの旦那さん知ってましたよね(^_^;)
すっかり忘れてました。でも、秘話という程のものじゃないよ。
私が助けてもらったわけじゃないし。。。その時は知らない人だからね~。(^_^;)

> 生理といえば、震災の時私にも何かできないかと思い、‘生活用品物資募集’みたいなのをTV番組で見て、毛布や洋服とともに生理用ナプキンを入れて郵送しました。女子はきっと困ってるはず!と思い
> 梅田駅前でも街頭募金ボランティアのお手伝いをしました。あれからもう16年なんですね~。しみじみ。

そうでしたか。。。きっと着るものも何も無くした女の子達がありがたく使わせて
頂いたと思いますよ。おむつや、ナプキンって嵩張るけど、いる人には大切なもの
ですからね、水・食料の次くらいに支援してもいいと思う物資だと思います。
私の近隣では、自分の家の事もあるでしょうが、スーパーが確か次の日くらいから
開けてくれて、水や食料を買える体制にしてくれてたと思います。
ああいう時に、小売店が担うものは、商売という表面上のものではなく、皆で力を
合わせようというエネルギーを発信する場所なんだと思いましたよ。

> 梅田は何事もなかったようにハイヒールを履いたお姉ちゃんたちが歩いてて、
 かたやTVでは西宮より西の惨状を写してて、電車で15分の距離でこんなに被害は
 違うのかとビックリしたものです。
> 淀川をこえるかこえないかで全然違いましたよね!!

そうでしたよね。服装が違うのは仕方ない事だよね。
自分の家の事もあるのに、それでも仕事で人の救助に出たりして家を開けないといけない
人も沢山いて大変だったと思う。そういう人達が動いてくれたから、あそこまで復興した
んだと思うよ。カーヴィさんも、責任のある仕事との両立、大変だけど、頑張ってね!

Yururi #- | URL | 2011/01/20 12:36 * edit *

ORIERIOさん

こんにちは♪今日も、コメントありがとうございます(*^_^*)

> 私ね、あの地震のとき海外で生活していて、向こうの
> ニュースで観たの。街が崩れて&あちこちから煙が出てて…まさか自分の国で?と、かなり動揺しました。

え!ORIERIOさんも海外生活の経験があるのですか??すごい!
ご姉妹で、すごい経験されていますね!
いろんなお話、きいてみたいわ~\(^o^)/
それはそうと、海外で自分の国のニュースみたらやはり驚きますよね。
うちはテレビも吹っ飛んじゃって、ニュースも見れなかったんですが、
もちろん近隣もそんな状態で何が起こったのか誰も把握できず、日本中
で地震が起きたのかと思ってたのです。
夜が明けてきて、とりあえず父がテレビの復旧だけ行って初めて見た映像
がまだ目に焼き付いています。町中が戦火の焼け野原になったような景色。
それが神戸だと知ったのはしばらく経ってからでしたが、電話も通じなかった
のに、初めてうちに電話がかかってきたのが、午後になって、当時パナマに
いた伯父からの安否確認だったんです。国内の電話は全く通じなかったのに
海外は優先されたのかな?不思議でした。パナマでもニュースで流れていた
そうで、吃驚してすぐに電話をくれたそうです。

> 私の中では、「阪神・淡路」というより「日本」と
> いう感覚のままなので、被災者ではないのに気持ちが
> とても痛くなります。

そうですよね、私もあれから新潟や九州やいろんな場所で災害が起きる度に
人ごとじゃない気がして胸が痛いです。

> yururiさんも辛い思いをされたと思いますが、無事で
> よかったですね。本当、よかった。

私なんて、本当に中心地にお住まいだった方に比べたら、全然大丈夫です。
やはり、安心して眠れる場所があるのはありがたかったですね。

> ご主人のお話も温かい^^
> その方も娘さんも、ご主人にしていただいたこと
> ずっと忘れずにいてくれてると思います^^

そうですね、私は親戚のお世話だけでボランティアとか出来なかったので
偉そうな事は何も言えません。
やはり、動いて初めて人の為になるのですからね。今でも、もっと何か出来た
のかもって思います。

> 温かいっていいですね。
> 人の温かさも、ご飯もお風呂も!

・・・・。(ToT)ホントです。全く。
今は喉元過ぎて、温かい生活が当たり前になってますが、1年に1度位は
あの時の気持ちを振り返って感謝しなければならないと思います。
ORIERIOさんのいつも温かいコメントにもすごく癒され、元気を
頂いていますよ。ありがとうございます(*^_^*)

> 私も…
> 最近また揺れ出してる気がします。
> そんなに大きくはないけど…そのうちドーンと
> 来るのでは?!と不安でしょうがない(泣)

用心に越したこと無いですよね。いざという時の為の準備、していて損は
無いですからね。まずはいらないモノの廃棄からやってみます(^_^;)

Yururi #- | URL | 2011/01/20 12:55 * edit *

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